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PROFILE <イワサワ・マサミ> SBS静岡放送勤務を経て、1994年よりフリー。東京FMなどのラジオで日本代表やJリーグのリポーターを務める傍ら、各種イベントでも司会として活躍。サッカー3級審判員の資格も持つ。

岩澤昌美さん


アナウンサーになる前は、婦警さんだった !?
 岩澤さんがアナウンサーになろうと思ったのは、同じ仕事の繰り返しに、仕事の情熱を失いかけていたことがきっかけだった。
 元々、小学校のときに放送委員会に入っていた。
「放送委員会といっても、お昼に給食の献立を読み上げたり、下校時間に“下校時間になりました。みなさん、気を付けて帰りましょう”というだけで、普段はソフトボール部だったんです」
 中学、高校とソフトボール部。高校を卒業すると、公務員試験に合格、藤枝警察署に勤務。交通課、婦人交通指導員になる。
「巡視員で、折鶴を折って交通安全祈願をしたり、あさりの貝殻でお守りを作ったりしていました。それから、交通太郎くんと呼ばれている人形を使って、幼稚園などで腹話術をしたり、ハッキリいって、いっこく堂さんより、私のほうがうまいかも(笑)。そのほかには、小学校にいって自転車の乗り方を教えたり…、でも、ほとんど毎日、折鶴を折っていたイメージしかないんです」

 毎日、同じ仕事の繰り返しに、岩澤さんは仕事への情熱を失いかけていた。そんなとき、地元のSBS(静岡放送)が、キャスターの募集をしていた。ソフトボール部で鍛えた、よく通る声、小学校時代とはいえ、放送委員会でマイクの前に立った経験もある。エイヤ、とばかりに、思い切って応募し、見事に合格。
 朝のラジオ番組で、静岡県内の名所にでかけレポートする。
「そのほかにも、ラジオカーみたいな車に乗って、静岡県内をくまなく走り、干し柿みたいな珍しいものを見つけて、その家に住んでいる、お爺ちゃん、お婆ちゃんに、その説明と生きがいなどを聞いたりしていましたね」
 警察に勤めて、折鶴を折っているよりも、何倍も刺激がある仕事だった。


 そんな岩澤さんに転機が訪れたのは、93年10月。サッカーの歴史的な出来事がきっかけだった。それが「ドーハの悲劇」と呼ばれた、93年10月、カタールのドーハで行われたワールドカップアジア最終予選だった。最終戦のイラク戦に勝てば、日本サッカー史上初のワールドカップ出場が決まる。しかし、ロスタイムで同点に追いつかれ、日本中の人がスポーツの怖さを知った試合だった。
「夏休み、有給休暇を全部使って応援にいったんです。あの試合を見て、サッカーというスポーツを伝えたいと思ったんです」
 ツアーに参加していた、ほかのマスコミ関係者に、「サッカー関係の仕事をしたければ、東京に出てきたほうがいいよ」と誘われ、上京。
「でも、私が東京に出てきたときには、サッカーブームが終わっていて、サッカーの番組なんかなくなっていたんです」

 困っていたときに、競馬の番組を担当しているスタッフと知り合い「やじうま競馬」のキャスターを務める。その後、TBSの「ザ・フレッシュ」でお天気お姉さんになり、フジテレビでは「ビッグトゥデイ」のレポーターを務めた。
「ビッグトゥデイでは、最初、(旧)オウム真理教を担当していました。第七サティアンの前でレポートとかしていたんです。事件が事件ですから、真剣な顔でレポートしていたんです。ところが、顔が笑っている、といわれたんです。真剣になればなるほど笑っているといわれて、社会派から外されて、おいしいレストランとか、絶叫マシンに乗ったりという企画もののレポーターにされたんです。でも、そっちのほうが私には合っていたのかもしれませんね」
 現在では、TOKYO FM、NACK5などのラジオ、そして、もちろん「やじうま競馬」を中心に活躍している。
岩澤昌美さん

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